藤浩志との出会い(藤浩志論のためのメモ①)

 僕が藤浩志という美術家に初めて会ったのは2003年12月だから、もう6年も前になろうとしている。銀座の小さなギャラリーKobo&Tomoで藤の個展が開催されていて、藤さんと中村政人さん(美術家)と岡村多佳夫さん(東京造形大学教授)がトークするというので行ってみたのだ。
 東京造形大学で美術や展覧会について勉強し1997年に卒業したものの、当時の僕は美術に関心がなくなっていた 。美術に触れるのは、一部の友人や知人の展示をときどき見に行くときに限られていた。しかし、そういう展覧会に足を運ぶ理由は、必ずしも友人だからとかそういう「つきあい」とはいいきれないものがあった。やはり、いいものが見るのはうれしい。親しい人がいいものをつくるために努力しているのは、それだけで喜ばしく元気になる。創作には失敗はつきものだし、嗜好の違い、価値観の相違もあるから展示を見ても感心できないこともある。それでも、継続される 創作を見続けることに喜びがあった。次の作品を見るのもたのしみになる。もちろん、自分がいいと思わないも のを作っている人の展示には、いくら知りあいだとはいってもだんだん足が遠のく。
 ともかく、創作活動を続けている知人のうち興味のもてる人の展示を見に行くというのが、僕と美術のささやかな関係だった。いわゆる美術業界のできごとにはまったく興味がなくなっていた。それは、なぜなのか当時はつきつめて考えていなかったが、どうも自分とは関係ない世界だと思っていたのだ。なにかはっきりしたきっかけがあってそうなったのではなく、展覧会をいろいろ見ているうちに、そう思うようになった。今でもそれは同じだ。
 美術館で学芸員で働きたいという気持ちもなかったし、ギャラリーで勤めるつもりもなかった。アートライターにも評論家にもなりたいと思わなかった。そういうのがつまらないような気がした。コレクターになるほどのお金もないし、ときどき展覧会に行くぐらいだ。ただ作品だけで知っている好きなアーティストが何人かいるというのと、一方で比較的身近な人たちが美術の分野で努力して創作を続けていて、そういう人に関心があったというのは確かなことだ。
 今ならクリエイティブには関心があったけど、美術業界には興味がなかったと説明できるが当時はそんなふうにつきつめて考えていない。ただ、毎日のようにCDで聴く音楽があるのだから、よほど美術より音楽のが好きといってよかったし、その「音楽が好き」というのだって世の中の一般的なレベルかどちらかというとそれより熱がない程度だったから、やっぱり僕は「美術」というのはそんなに好きではないんだな、とは思っていた。
 なぜ美術に関心がなかったかというのは重要な問題だが、この話題は後に触れることにする。藤浩志の展示に話題を戻そう。このとき藤が展示していたのは「cross?」というシリーズの作品だ。藤が生活していって溜まっていったものを 組み合わせて十字状にしたものだ。魚の形の醤油刺し、歯ブラシ、剃刀、プラスチックの菊の花など。安っぽいものばかりが素材だったが、いわゆるジャンクアートとも違った表現だ。ゴミを拾ってきて作品にするのがジャンクアートだとすると、藤の「cross?」はゴミになるはずのものを、ゴミにしないでコレクションし、組み合わせて作品化していた。いわゆるジャンクアートのような荒々しさはない。使用後のモノが集積されている。ジャンクアートはモノが一度捨てられたことをはっきり主張しているが、「cross?」モノが使われた時間をイメージさせる。
 展示されているいくつもの作品は十字というフォーマットは同じでそれぞれ素材が違う。素材は違うけど、どれも藤浩志の生活で溜っていったものだ。だから、日記のようなものでもある。生活の痕跡の彫刻かもしれない。僕は、それら十字型のオブジェに僕が知っている現代美術とは違う要素を感じていた。
 なんだか、おもしろいと思った。でも、そのおもしろさは、他の展覧会を見て感じるおもしろさとそう大きく違うわけではないのだが、しかし確実に違う何かがあった。その小さな違和感はトゲのように突き刺さったまま今も僕の心に残っている。言葉にならない「?」という感じが心地よかった。
 当時の僕の気持ちを、今の視点で整理してみると次のようになる。
 1.僕はいわゆる現代美術には関心がなくなっていた。
 2.しかし、クリエイティブ(創造的)なものには関心があった。
 3.現代美術にはクリエイティブなものはあった。クリエイティブな人もいた。もちろん、そうでない人もいた。
 4.つまり、僕はギャラリーや美術館などの施設、美術ジャーナリズムなどの美術システムでのできごとに関心がなかった。
 5.藤浩志の作品は、現代美術の作品と違う要素があるように見えた。僕が知っている現代美術のシステムとは違う方法でできているようだった。
 6.では、それは何なのか?
もっともこのときは漠然と不思議に思っていただけで、藤浩志の活動をもっと知るようになって、こうした問題意識がはっきりしてきたのだった。