はつゆきプロジェクト(世田谷ものづくり学校)

本日、世田谷ものづくり学校(IID)で「GREEN DAY」というイベントがあって、「はつゆきプロジェクト」展示とワークショップのお手伝。

http://www.r-school.net/program/event/iid_green_day_vol5keep_green_c.html

「GREEN DAY」では、何人か久し振りの知人に偶然会えてこれは嬉しいできごとだった。
世田谷ものづくり学校(IID)は僕にはおしゃれすぎるのだが、建築物のリノベーション事例としてはとてもいい。試みている。実践している。ここにオフィスや工房を構えている若い人たちの活動には注目したい。こんな場所(というよりもこんな運営方法)がもっと増えたら社会は変わるはずだ。場所を使っている人が、使いやすくなるように自分の手を加えていく。当たり前のこと、どれくらい昔のことかはわからないがきっとだれもがそうしてきたこと。でも僕たちはその作業をいつのまにか他人の手に委ねた。近代化から?たぶんいろんな段階があるし、他人の手によって作られたものを使うことが全て悪いとも思わない。だけど、他人の手の作業に頼るなら、なおさら他人の手の記憶に関心をもつべきではないだろうか。興味本位なゴシップ情報が蔓延し消費される。ゴシップ情報の増加に比例するように他者への無関心も蔓延する。それは世界全体への無関心につながっていくだろう。どんどん新しいビルが建つのも当たり前だよ。だれも他人の記憶にかまっている余裕なんてないのだから。でも本当にそれでいいのか?
建物を使う人も、所有者も、壊す人も全部違う人。ああ、せっかくたのしかったのになんだか暗い話になってしまった。
本当はたのしい一日だったんだけど、ついつい真面目なことを書いてしまった。

まぁ、そういう話は別にして、「はつゆきプロジェクト」。お手伝いといっても急に参加した僕はあまり役にたたない。プロジェクトを進めている下中さんや僕以外のアシスタントがしっかりしているので大丈夫。午前中からみんなでがんばった、ものづくり学校の階段壁面の展示はいい雰囲気に仕上がりました。ワークショップに参加してくれたみなさんもたっぷりたのしんでくれた様子。
順番が逆になったけど、「はつゆきプロジェクト」について。

〈はつゆき〉は、江戸の世で大流行した雪の結晶を図案化した「雪華文様」の紋切り型のひとつ。
世界や日本に住むさまざまな人たちに、〈はつゆき〉型に紋きりをしてもらって、メッセージを添えて送ってもらうという試みです。

http://monobu-log.jugem.jp/?cid=3

というわけですが、「紋きり」って何ですか?ですよね。「紋」は家紋。「紋きり」は紙を折って、型紙通りに切ってから開くと、紋ができあがるという遊び。
僕も下中さんに教えてもらって最近知ったんだけど、これがおもしろい。いろんな型があって、きれいな形がいっぱいできます。型紙を見ただけでは、切って広げたときにどんな形ができるのかわからないものも多い。これがたのしい。
ワークショップで感心したのは、下中さんの話が上手なこと。僕は話が苦手なので、学ぶところが多々あった。最初の説明のときに、「もんきりがた」という言葉が悪い意味に使われるよね、なんていう話題から、型を切る意味の核心にさりげなく入り込んでいく。そうだ、確かに「もんきりがた」というのは決まりきった表現、すまらない、おもしろみがないというニュアンスで使われている。でも、実際に「もんきり」という遊びがあって、そのための「型(かた)」が「もんきりがた」だなんて全く知らなかった。
型を切る(型をなぞる)。開くと思ってもみなかった形ができる。できた紋をもう一度折りたたんでみる。開いてたたむ、また開く。そうすると型の仕組みを理解する。失敗しても、失敗から型の構造を学んでいく。そのうち、参加者が型から少しずつはみ出して、オリジナリティを加えていった。すかさず、これが「かたやぶり」ですね、と下中さん。

ああ!これって先週読んだ「芸術の設計」(岡崎乾二郎・編著)に書いてある話じゃないか!技術の継承。
他にも、家紋、文様、紙、色、いろんな場所に昔からあるグラフィック、などなど下中さんの話はどれもおもしろい。参加してくれたみなさんもどんどん切るのに夢中になっている。紙を折る、型紙をあてる、切る、開く。このプロセスでいくつもの形ができる。思いがけない形ができる。しかも自分の手によって。その不思議にみんなが魅せられていた。ワークショップの2時間はあっという間に過ぎてしまった。みなさん、おつかれさまでした。