桜島フェリー≒タイムマシン

 雑誌『風の旅人』(ユーラシア旅行社)で管啓次郎先生が「斜線の旅」というエッセイを連載している。最新号(vol.33)では島について。3つの島のエピソードを紹介した後に、島の本質的な特徴を探り、管先生自身がラパ・ヌイへの旅で経験した鮮烈な出会いが語られている。
 はじめの3つの島のエピソードのうち、鹿児島県桜島の部分は、僕が管先生に話したものがもとになっていて、誌上で「ありがとう」とお礼の言葉をいただいた。でも、こちらこそありがたいと思っている。そして心苦しくもある。
 早稲田大学近くの中華屋で管先生や早稲田の学生と島の話をしたときに、それぞれが島の経験を大切な思い出にしていることがわかった。あれはいい時間だった。僕はつい最近まで住んでいた桜島の話をいくつかした。その中から管先生がエッセイで紹介してくれた、鹿児島市の都市部と桜島を往復するフェリーがタイムマシンみたいだというのは、僕のオリジナルな着想ではなくて、「SA・KURA・JIMAプロジェクト」の事務局長・浦田琴恵さんのものなのだ。管先生のお礼は早稲田の中華屋での会話に対するものだから僕の名前が挙げられるのはかまわないのだが、ちょっと心苦しいので浦田さんのテキストを紹介したい。
 というわけで浦田さんのホームページ内の「テキスト」(http://kotoe.ifdef.jp/think.html)の中に『桜島フェリー』という短いコラムがある。これを読んでもらえると桜島フェリーの様子がわかる。
 交通網の発達した人口60万を擁する現代都市と、ゴツゴツした溶岩があちこちに見える火山島桜島桜島フェリーをタイムマシンのように感じるのは、こうした対岸のふたつの場所の違いによるところが大きい。でも、それだけではなく、15分という絶妙な乗船時間と乗客の多様さも重要な要素だ。

美しい錦江湾にはしゃぐ観光客たちと、たんたんとした表情の地元の住民たち。飛び交う言葉や方言も多種多様。様々な人々が、陸を離れて海の上で過す15分。

島民と都市部住民が混ざる。老人と子供、サラリーマン、主婦がちらほらと。なにやらいつもワイワイとたのしそうに見える中学生や高校生たち(でも、もちろん悩みがあったりするわけだよね。当り前か)。そして旅の人。あきらかな観光客もいれば、いかにも財布が軽そうな気ままな旅人もいる。
もちろん現代都市だって多様さをもっている。都市にはあらゆる出自の人が行きかう。日本全体から見れば決して大都市とはいえない鹿児島市でも、驚くべき数の地域から商品が集まり流通しているし、それに伴って人も行き来する。あらゆる世界の断片を送りこんでくる。でもその多様さは統合の波にさらされている。
そんな都市の多様さとは全然違った形で、フェリーの中では生地の多様な生き方を見ることができる。もう一文、浦田さんのコラムから引用する。

記念撮影をする人、テレビをみる人、名物のうどんを食べる人、携帯でメールを打つ人、眠る人。皆、自由な時間を満喫しています。

確かにあれほど「自由」という言葉が似合う乗り物も珍しい。というわけで僕もこのブログを書くことによって、川崎にいながら心は南に旅をした。 管先生、そして浦田さん、ありがとうございます。
桜島はすごい。大正の噴火によって桜島大隅半島は溶岩で繋がり、厳密な意味での「島」とは言えなくなった。だけど今もそんなふうに地理的状況を一変させるような潜在的力を感じることができる。地球が生きているのがよくわかる場所だ。タイムマシンに乗ってあの土地、あの時間に移動したい。今でも、あのフェリーに乗りたいとよく思う。