吉祥寺に「百年」という古本屋さんがある

ちょうど一週間前の12月9日に吉祥寺の古本屋「百年」で仲俣暁生さんの公開授業(武蔵野美術大学の「メディアとしての書物」)が行われた。メディア図書館論の浜口先生にもおつきあいいただいて、聴講してきた。やはり古本屋という本に囲まれた空間での授業というのがいい。
講義の内容は、「百年」店主の樽本さんと仲俣さんの対談で、古本屋の業務や開店にいたるプロセスなどをうかがいながら、本や本にまつわる空間や流通などについて考えるというもの。僕は新刊書店や出版書店に勤めていた経験があるので、ここで話されている業界的な情報はすでに承知している内容がほとんどだったけれど、樽本さんのパーソナルな視点がとても興味深く、有意義な時間だった。樽本さんも新刊書店に勤めていた経験があり、4、5年の勤務の後、独立して開業されたそうだ。僕にはそういう勇気も気力もなかった。仕入や値つけの基準など、とてもおもしろい。腹をくくっているのだ。結局、本とどう関係するかということだと思う。万人に通用する答えなどない。

僕にとっては、ジュンク堂の田口久美子さんと中村文孝さんが、書店員時代の神様みたいな人だった(そういう神話化が馬鹿げているし、ご本人にも迷惑な話なのはよくわかるが、それはともかく)。今でもそれは変わらない。怖かった。憧れた。調子にのってわかったような口をきいていた僕に、ご自身の仕事を黙々とすることによって、本のこと、人間のことを教えてくれた。それはとっても豊かな時間だった。無礼で世間知らずの小僧を、厳しく暖かい目で見てくれた。
池袋のジュンク堂でアルバイトする前、大阪は難波のジュンク堂を見て「ここに住みたい」と思ったのを今でも覚えている。高い天井にまで届く本棚に圧倒された。
でも田口さんを見ていたら、だんだんそういう気持ちはなくなっていった。本よりも、人のほうがおもしろかった。圧倒的な物量の巨大書店の中で、汗をかきながら棚を抜き差しし、若い人の何倍も働く田口さんはステキだった。中村さんにはすっかりごぶさたしている。怖かったけど、やっぱりかっこよかった。大きくて厳しくて優しい人だった。
その後、他の店でも書店員をしてみたけど、業界の渦にのみこまれて窒息しそうになり続かなかった。
今では巨大な書店空間にあこがれはないけど、20坪くらいの小さな店で田口さんが店主の店があったら、そこでバイトしたいと思う。ときどきそんな夢みたいなことを考える。

話がそれてしまった。ともあれ、僕と本の関係はそんなふうに中途半端で、「百年」の樽本さんのようにキチッとしている人を見ると感心してしまう。居心地のいいステキな空間の店内をよく見渡せば、樽本さんの意志が貫かれているいるのがわかる。決しておしつけがましくはない。ただ、世界に向けて開かれている感じ。
「百年」の特徴を言葉でもっといろいろ列挙することはできる。棚にジャンルが書かれていないとか。でも、そういうことをここで書くよりは、実際に吉祥寺まで足を運び「百年」に入ってみることをお勧めしたい。「情報」そのものよりも、関係すること(店に足を運ぶ、未知の本を探す、古本屋の環境に身をおき「感覚」する、など)のが、ずっと重要なのだ。