桜島での読書

桜島滞在も3日目。桜島においてある蔵書(管巻三十郎文庫)の一部を川崎のアパートに移動しようと思っていたのだがあきらめる。整理するのも3日間では無理。ヤマトの単身者用の引越し便を頼んでいたのだがキャンセル。大事な本だけをと思っていたけど、川崎のアパートも仮の棲み家としか思えないから、苦労してお金をかけて移動するのがバカらしくなってきたのだ。
本をもっと有効に利用できるシステムを作りたい。図書館とか古本屋は、すでに完成されたシステムといっていいだろう。もちろん社会環境や経済状況は常に変化しているわけだから、それに対応するためにシステムも改良の余地はある。だけど、そういうことはすでにその道に足をつっこんだ専門家の方におまかせして、僕としては何か新しい本の使い方を模索したい。
今、桜島にある管巻三十郎文庫はどれくらいの人に読まれているかというと、それほど多くはないと思うけど、利用者数といった数字以上に場所の空気を作るのに力を発揮していると思う。なんといっても藤浩志さんが作ってくれた本棚がすごい。
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昨年、桜島の元旅館だった場所を会場にして行われたアート・プロジェクトで、藤さんが僕の蔵書(管巻三十郎というのは僕の筆名)と旅館に遺されたテーブルなどの廃材を素材にして作ったのが管巻三十郎文庫。テーブルが積み上がって本棚になっている。関係していていうのもなんだが、かなりカッコいい本棚。しかもオシャレなインテリアというわけでもなくて、興味をもった人は自分から本を手にとって、ロビーのソファで本をめくっている状況にはなっている。しばらくはこのままでいいかな…と。ただし、ここがいつまで使えるか分からないところが問題で…。
どこかでうまく使える場所があれば、そこに管巻三十郎文庫を移動したい。人が訪れ、何かをアイデアを探したり、誰かと話したり、お茶やコーヒーを飲み、何かを作ったりもできる場所。図書館のように目的のある場所ではなくて、フレキシブルでオープンな場所にそれなりの量の本があれば、かなりおもしろい状況になるだろう。
ということで、大事な本だけは別の部屋に保管することにして、川崎に移動するのは中止。波の音を聞きながら、深夜まで読書。
島で読む本は、言葉がしっとりと頭に染み入るような気がする。いくつもの本をパラパラと、数ページあれを読んではこれを読むというとりとめがない読書と、中篇程度のそれなりの長さのものをじっくり読む、その繰り返し。短い、短い、短い、長い、短い、短い…、という読書のリズムを反復していると、本が島に届いた遠くからの便りのような気がしてくる。それぞれは世界の断片でしかないけれど、それらを行ったり来たりすることによって、大きな広がりのある世界像を意識することができるのだ。
エドガー・ポーと大竹昭子という組み合わせについて考える。