近藤一弥さんのトーク11月15日

11月15日(土)、デザイナーの近藤一弥さんのトークが行われました。
近藤さんのデザインは、洗練の極み。素材(展覧会のポスターであれば、アーティストの作品や活動)のもつ魅力を的確に抽出している。詳しい内容はすでに管啓次郎先生がレポートしているので、そちらをご覧ください。
http://monpaysnatal.blogspot.com/2008/11/blog-post_16.html
僕の感想としては、やはり近藤先生(前期に授業をとっていたので、僕も「洗練されたデザイナー」の教え子です。フフフ…)の活動が、展覧会やダンス・演劇の広報物、あるいは非常に質の高い著者による書籍の装丁など、ある意味で都市文化的なものに収まっているのが悔しい。すごくステキなデザインだからこそ。でも、その理由はよくわかる。でも、悔しい。
トークの時間はみんなけっこう手を挙げて質問や感想を言って時間になってしまったので、トーク終了後に僕の勝手なお願いをしてきました。「名前を変えて誰にもわからないように、100円ショップの商品のパッケージの仕事をしてください」と。失礼なことを言って申し訳なかったけど、やっぱり世界がもっと変わってほしいから。
100円ショップで売られているものは商品。消費物でしかない。でも、アートや文学もある特定の層に向けられた時点で消費物として流通してしまう。そんな文化的コードを飛び越えて、日常に「何だこれは!?」とノイズをおこすものがあってもいいと思う。そんな世の中のがたのしいと思うな。
近藤先生のデザインはすごい。ギリギリのところで勝負してると思います。そんな人に100円ショップの商品デザインは…頼んだらいけないのはわかっています。でも100円ショップの会社に就職して、近藤先生に企画とデザインを頼みたいという誘惑は強い。旅行会社のパンフレットもいいかも。近藤先生がデザインすれば、すごく不思議な旅の企画ができたりして…。
もちろん美術館や劇場が、日常生活とフラットになればいいかというとそうではない。ただ、そういう特権的な場所にしか驚きや夢が成立しないのだとしたら、それは夢として有効なのかという疑問です。これは自分の問題だな、どう考えても。どうやったら近藤先生に美術館や劇場じゃない仕事をオーダーできるのか、という僕の課題でした。おお、課題だけが増えていく毎日。