なんといってよいやら…。

山形から東京に戻ってきた。わずか4日間だが充実の山形滞在。映画祭のことは、別に書くとして、山形に行ってはっきりわかったことから書いておく。

僕の求めているクリエイティブなものって山形にはあるけど、DC系にはなかったってこと。
もちろん自分がしっかりしていれば、どこにいってもクリエイティブなことはできるはずで、要するに認識が甘かったのか。僕が大学院に期待していたのは、多様な人材の集まるところで何ができるかということだった。
理系の大学院(理工学研究科)の中に、文理融合した専攻をつくって、その中のひとつが僕が所属するディジタルコンテンツ(DC)系。その中に理工学研究の先生と文化研究の先生がいて、学生も理工学部出身と文系学部の学生も入ってきた。それはすごくいいこと。
だけど、学生のボキャブラリーは必然的に違う。文型の言語と思考の学生、理系の言語と思考の学生がいて、さぁ、どうする、どんなことができるか、ってことだと思っていた。
で、結局は文系(映画とか文学に関心のある)学生と、理系(コンピュータプログラムなどに関心のある)学生にはっきりわかれたまま2年間が終わろうとしているのが僕らの学年。これはやっぱりつまらなかった。これって学生だけが悪いのか?
はっきりいって先生たちは自分たちの研究領域の言語でしか話してなかったと思う。カリキュラムの設定も感心できなかったけど、それ以上に先生たちの専門領域は保持したままで、学生にはいろいろ押し付けて(もちろん、学校だから勉強するのは当たり前なんだけど)、でも修士研究は好きなことをやりなさい、というのはおかしくないのだろうか。それでは学生が自分たちの背景にあるコードに戻って文系と理系に分かれてしまうのは当然だろう。少なくとも僕がいる研究室は異なる文化背景の人間がどう混ざって影響しあうかではなく、あくまで理系の組織の中に存在する文系だった。
まぁ、それは僕が勝手に勘違いの期待をしていたのかも。環境問題や食糧問題、地方の過疎と高齢化、難民、外国人労働者の雇用環境など、いくらでも課題はある。それらの解決には理系の知だけでも、文系の知だけでも解決できていないのが現実で、そういう多様な問題に知を統合的に導入する実験の場だと思っていたわけだ。SFCみたいに問題解決提案型のカリキュラムを期待していたんだけど、そんなものはまったくない。それはしかたがないのかも。でも、やっぱり文学や映画を研究するにしても、環境問題とか、災害があった場合とか、あるいは労働問題でもいいんだけど、何か提案できる映画なり出版の企画を考えたらいいのに。だって、今のままだったら文学部でいいんだもん。
結局、どこに「新領域」の「創造」があるのか?
文化人の審美眼に基づいた「美」の判断は文系の大学院がすでにあるんだから、そっちで学べばいい。ぎりぎりまで装備を減らすサバイバル登山で知られる服部文祥さんが山に何をもっていくのかを選ぶプロセスは、僕にとっていわゆる美術作品よりもよっぽど美しい。もちろん美しい美術作品は、服部さんと同じようなぎりぎりの選択や行為によって成立しているといいかえることも可能だ。
そういう意味での「美」は問われずに、僕らのコース(DC系)は芸術作品を鑑賞・批評するか、コンピュータでプログラムを作る人間にはっきり分かれている。
大学院だからもっと自分で動かなきゃいけないということだね。でも、ただでさえつまらない状況で、動機がない展覧会をやらされたらもう力も入らないし、ノイローゼになるよ。先生がやりたい展覧会を学生がスタッフしているのって、どうなのと思う。こっちもかなりマヌケで、DC系の宣伝になるのならと思って手伝っていたけど、そういう展覧会に参加すればするほどDC系が嫌いになる。すでに評価されているアーティストを先生が選んで、できあがった関係があって、学生は手が入れられないような状況での展覧会になんで参加してたのか。本当にバカだった。展示しているものはいいんだけど、だからいい展覧会かといえばもちろん違う。僕が今までに関わった展覧会の中では、もっとも嫌な気持ちになった展覧会もDC系主催のものだったし、こんなことをやっていて誰が幸せになるのか本当に疑問。
去年の4月にはいろいろとやりたいことがあったけど、今は自分がやりたいことがDC系と関係ないのだけがはっきりした。言いたいこともなくなるし(一応、ここに書いているけど、当然ながらこういうことも書きたくはない。でも、展覧会が終われば、よかったね、というふうにいいことばかりだったみたいになっても困る。先生はいいかもしれないけど)。ただ黙って、やる気がなくなって、時間がすぎていくのにもうんざりした。なかなかそこから抜け出せないんだけど。
藤浩志論を書く2年にしようというのは変えるつもりはないので、藤さんについて書くテキストは今後このブログにアップしていきます。書けるかどうかわからないけど、書けないからこういうことをいっていると思われるのも癪なので大学とは関係ないところで書く。書いてみる。組織に認めてもらうために書くわけじゃないし、むしろ大学院とは関係なく書いたほうがすっきりする。だって、学校でやっていること(ソフトの観賞、よその作家が作ったものを借りてきて並べる展覧会)と研究したいこと(藤浩志の活動)って関係ないんだもん。
学位もいらないし、除籍でいい。学校の中でどうやって自分のやりたいことをやるか考えていたけど、それで1年半すぎちゃったし。入学金とか授業料は無駄になった(まさかお金払って動機がない展覧会やることになるとは!先生と職員でやってほしい。あるいは展覧会を勉強したい人で)けど、これ以上時間を無駄にしたくない。ギャラリーとかそういうところの展覧会以外のことをやりに入ってきた学生にギャラリーで展覧会をやらせて、学校嫌いにさせてどうするんだろう?人間不信になってしまう。
わがままかなと思うけど、去年のスライド上映会から我慢してたし、残りあとわずかの期間、学校に所属している間は動機があることだけやります。12月の展覧会はいいものになるはず。これはギャラリーだけど、全然違う内容というか、企画があるし。それとは別の企画で連続ワークショップもあります。
いいたいことがいえない状況っていうのが、藤さん的なテーマではあったね。