山形/タヒミックの航海

学校のことを考えると、必然的に今までやってきたこととか借金とかを連想して暗くなるだけなので、山形でのたのしいできごとを書きます。10月11日から14日までの滞在でした。
まずは山形の街。やっぱりいい。八文字屋というステキな書店があって、京都の恵文社一乗寺店と田口さんのいるジュンク堂と山形の八文字屋が日本で好きな新刊書店トップ3なので、山形にいる間は用事もないのに八文字屋に入ってしまう。
いちいち「文化」とかもっともらしいことをいわずに、さりげなくいい本屋がある山形は本当に文化度が高いと思う。
去年、管先生たちと美術館を訪れたけど、そのときは滞在時間もごくわずかだったので街をたのしむことはできなかった。今回はたっぷり歩くことができた。街並も少し変わっていて、でも東京みたいに何軒も店が入れ替わるような変化ではない。だから、ひとつ新しい店を見つけるだけで新鮮で不思議。
さて、映画祭は、今回はキドラッド・タヒミック以外にはとくに目星をつけてないので、滞在初日にプログラムをもらって、複数の会場の中から選んで入る。そして1日4〜5プログラムの日々。1プログラムに2本のときもあるので、本数としてはもっと多い。でも、今回はやはりタヒミックでした。
キドラッド・タヒミックの『群生するイメージは…島?』はすさまじい傑作。マゼランの奴隷エンリケ、世界を最初に一周した男とその精神を受け継ぐ航海者の物語。所有と支配の欲に満ちたヨーロッパ人ではなく、その奴隷こそが地球が丸いことを最初に体験してしまったことの痛快さが映画にも満ちている。
体ごと揺すられるような衝撃。どこまでも自由で、その旅には終わりはない。ひとつひとつのイメージが島のようで、島と島を渡るようにイメージが連鎖する。
タヒミックこそアジアから西洋に渡り、アジアに帰ってきた現代のエンリケだ。プリミティブに西洋人を模擬し、ヨーロッパを自己の表現に吸収してしまう。タヒミックがつくった竹のカメラは、どんな現代美術作家のオブジェよりもユニークで洗練されている。
20世紀後半の映画史で最も重要な3人といえば、ゴダールマカヴェイエフとタヒミックだと思う。個人的に好きな映画作家は他にもたくさんいる。でも100年後に読まれる映画の歴史で、本当に事件として記述されるべき作品をつくったのはこの3人だろう。タヒミックの特集上映、どこかでやってくれないかな?
かわなかさんの作品も上映されていたけど、新宿で見たので今回は違う作品に行きました。川部良太君の『ここにいることの記憶』はかなり実験していて好感がもてた。郊外をこういうふうに映像にできる人がでてきたというのは収穫だ。一緒に行ったコウヨウ君もかなり気に入ったようだった。
立命館の川村さんにも久しぶりにお会いできてうれしい。他にも、なんとなく山形で2年に1回会うのが習慣になっていた人とも久しぶりに会えた。ASLEで清里を一緒に早朝散歩した新潟大学の小谷先生にも遭遇。うーん、さすが。新潟と山形って近いもんね。今回は今の同級生コウヨウ君といっしょに行ったのだが、10年以上前に卒業した学部時代も映画祭に来ていたので、なんだか不思議だった。高円寺の「素人の乱セピア」でバーテンをしてたジェレミーや、昔から知っている高円寺界隈の知人にも会って驚き。今回の映画祭は意外な知り合いと会ったなぁ。
夜、監督やスタッフ、お客さん、みんなが集まってお酒を飲んだり話したりできる香味庵は相変わらず人がいっぱい。でも作品よりも香味庵こそが山形の映画祭という気がする。東京だったら絶対にこんな雰囲気にならない。どこかの会場でパーティーしても、おいしいお店に飲みに行っても、香味庵みたいにはならない。作品は(全部ではないにしても多くは)後々、東京でも見れるしね。香味庵最高!
ともかく香味庵でお酒を飲めたのと、タヒミックの作品を見れただけで幸せでした。