環境と文学

文学・環境学会の印刷物に掲載してもらう予定の書評の校正。あんまりいじるつもりなかったんだけど、読み返すと我ながらひどい文章。情けない。結局、ずいぶんと赤を入れてしまった。
学会ってつまらないイメージがあったけど、それは僕の心の狭さによる偏見だった。いろんなことを考えている人がいて、刺激を受ける。もちろん研究を発表するための組織だから、もっと自分がしっかりとした研究をしないと意味がない。社会的な居場所をつくるための論文なんて書くつもりはまったくないけれど、学校はともかく学会で何か発表できるように個人的な努力はしていきたい。
文学が環境に対して何ができるかという課題は、これからますます重要になってくるだろう。環境文学というジャンル研究も大切だけど、自然科学や松井孝典などの地球物理学についての書籍を文学として読めないかということが僕の文学と環境についての関心のあり方。それは、言語による記述の何が文学を文学として成立させているのか、という問題にも触れることになる。ともかく文学は環境を記述してきた。文学であろうが科学であろうが環境は記述されるのを待っている。