DC系って何なんだ?

友人から、「どうせ学費は戻ってこないんだから割り切って修士論文書いて、大学院出ておけばいいんじゃないの」というアドバイスをもらった。それが一番りこうだとは思う。
でも…。そうしたところで「結局なんだったんだという?」というむなしい気持ちはなくならないだろうし。お金を人質みたいにして、論文書かされるのもおかしい。書きたいテーマはあるんだし、論文として認められるかどうかはともかく、気持ちよく「これを書いてみました」と提出できる関係でありたい。そうであれば、このレベルじゃダメって言われても納得できるし。
学生の能力が向上するなら、学生にモチベーションがないことでも、それをやらせるのも先生の仕事かもしれない。でも、先生の趣味のレベルで展覧会の内容を決めて、それを学生にやらせるなんて、そんなの教育でもなんでもないでしょう。アカハラでしかないと思う。
しかも先生には、学生を困らせているつもりがないから困る。僕としては、これまでDC系でやってきたような展覧会をやりたいと主張したつもりはまったくないんだけどね。何のためにやった展覧会なのかは、本当にはっきりしてほしい。宣伝なら、みんなでやればいい。交代でも全員がなにか宣伝業務に関わるとか。
そもそも作家に声をかけた人間が展示作業に立ち会わないなんて前代未聞だし、その作家がこれから死ぬまでに何回の展覧会をするかわからないけど、そんな理不尽なことはもう二度とないと思う。そういう理不尽な関係によって生じる作家のフラストレーションが学生に向けられるのって、おかしくないですか?
まして公的機関から作品を借りているのに、企画の立案者が展示作業に不在だなんて。そんな無理な状況での展示を学生に強いてどんないいことがあるのか、本当に知りたい。
結局、何の学校なんですか?見栄えだけかっこいいことして、それでいいというなら、それもありだと思う。僕は関係したくないけど、そういう学校は他にもあるだろうし、DC系だけが問題にされることもないでしょう。そんな学校なら、要するに騙されて学費を払った僕がマヌケってことだ。でも、そうは思いたくない。いや、マヌケなのは自覚しているけど、先生たちだってちゃんとしたことをやりたいと思っていると信じたい。
本当になんだったんだろう?上映会とか展覧会とか…。
もっと信用できることをやりたい。何かするたびに人を疑うような関係でものごとを進めたくない。関わった学生はみんな努力したんだから、それが学生にとってどういう意味のある展示なのか知る権利はあるはず。それがないんだったら本当にアカハラでしょう。
なんか、こんなことを書いているのもつまらないね。明日はもっとおもしろいことをしよう。