安斎重男さんのアート

造形大に在学中に、安斎重男さんが特別講師としてレクチャーをしてくれたことがあった。僕が生意気でまだ何も知らなかった(知識量も生意気なのもあまり変わっていないけど、やっぱり今よりもひどかった)ころの話。
安斎さんが、なりゆきで「現代美術」とかかわるようになっていったプロセスを話してくれて、とてもおもしろかった。新聞社主催の展覧会(毎日新聞?)のアルバイトで、ハンス・ハーケを空港に迎えに行くようにいわれて、ハンス・ハーケが何者かも知らぬまま空港に行って、わけもわからずに「Hans Haacke」と書いたでっかい紙を持って立っていたという話が強く印象に残っている。
そして、造形大だから一応はアートとか美術について学ぶ大学なのに、安斎さんがアートをひとまずよくわからないものとして話しているのもよかった。「現代美術ってよくわからないものだと思うけど…、アーティストってのは何か予感しているんだよ。今の世界に触れて、見て、その先におきることを何か予感してるんだ。だから、わかんなくても当たり前で、10年後、20年後にわかってくることもある」みたいな話だった。安斎さんが現代美術とちきあい続けているのも「くさい言い方だけど、結局は愛みたいなもんなんだ」と言ってた。なんだか、ものすごく感動したし、今でも言葉の本当の意味での「アート」ということを考えると安斎さんのことを思い出す。美術館やギャラリーなんかよりも、安斎さんのまわりにアートがあるような気がした。今でもその気持ちは変わらない。
授業が終わって、安斎さんや森口先生とラウンジでお茶を飲んでいたら、かわなかさんが通りかかり安斎さんと70年代80年代の話を始めた。さまざまなアートイベントの現場で安斎さんは写真で、かわなかさんはフィルムやビデオでパフォーマンスやハプニングを撮影していた。カメラポジションの競争があって、いつもお互いに「お前、邪魔だ」みたいに言い合っていたらしい。結局、そういう現場でのできごとが一番おもしろいというのは今になってみればすんなりと理解できるが、このときはなんだか大人の話を子供が聞いているみたい(というか実際に大人と子供なんだけどね)で不思議な気分だった。
そして、一番印象に残っているのは、安斎さんが「あのバス停のおじちゃん、むちゃくちゃおもしろい!」と目を輝かせて言ってたこと。当時、造形大の大学バスのバス停にはおもしろいおじさんがいた。よく喋るおじさんだった。たいていは世間話なんだけど、独自の視点があって、なんだかすごくいいのだ。実際に、学生の作品より確実におもしろかったし、ほとんどの先生よりもおもしろかった。といってもアート的にどうってことではなくて、ただ存在がおもしろい人だったんだけど、安斎さんがあのおじちゃんをおもしろがっているのが僕にはすごく嬉しかった。
その後のおつきあいもないので、安斎さんが僕のことを覚えているはずはないし、バス停のおじちゃんのことも忘れていると思うけど、この日のできごとに僕はすごく影響を受けている。
学芸員より美術館の掃除のおじさんのがおもしろいんじゃないか、というのは安斎さんの話がなかったら思いついてなかったかも。安斎さんの言うとおり、アーティストは現在の状況に何か違和感を感じてこれからのヴィジョンを提示する人だと思うし、それはすごいことなんだけど、だからこそ今こことの関係が重要なわけで。野球が好きってときに、選手になるか観客として野球を見る以外にも選択肢があるってのは大事なこと。ボールボーイをするとか、ビールを売るバイトとか、いろんな関係のしかたがある。アートだって、美術梱包や展示スタッフとか、それこそ清掃スタッフだっていて成立しているのに、なんだかないことにされちゃっているから頭にくるわけ。
まぁ〜理想論をいっててもしかたないけどね。
安斎さんは現場、現場を渡り歩いてきた人で、そこがいい。だから、美術館清掃のスペシャリストとかいって、全国の美術館をまわる人がいてもいいと思う。僕はもう美術館にはまったく関心がなくなってしまい、むしろ大学のがおもしろいので、大学の清掃スタッフか学食のおじちゃんになりたい今日このごろです。2年間大学を掃除したら、1年間無料で学べるってどうでしょう?いい制度だと思うんだけどな…。