西野達

6月5日、バイトが終わってからARATANIURANOに行ってきました。
http://www.arataniurano.com/
西野達さんの展示。作品点数は多くないけど、おもしろいです。痛快です。これくらいのことができるとギャラリーもいいですねー。相変わらず、「うわー、やっちゃったー」みたいな作品です。「モノ」の前に「できごと」があります。この「できごと」が、「モノ」の言い訳としての物語じゃないところがすごいところ。どんな作品かは見てのおたのしみと言いたいのですが、会期が終了してしまいました。作家のウェブサイトで、西野さんの今までの活動を見ることができます。いろんな実験をしています。
http://www.tatzunishi.net/
ギャラリーにおいてあった冊子に西野さんのインタビューが掲載されていて、これを読むと、西野さんがアートについてどんな考えをもっているのかよくわかる。簡単に書くと、アートは何にも役に立たないけど、世の中の価値を揺さぶる可能性がある、ということだったと思う。
これには、まったく賛成なんだけど、僕としては西野さんのやっていることをアートって言わなくていいと思う。アートと言ってしまうと、「アートだから成立している」ということになっちゃう。でも、アートとしても見なくても、現実にすごくおもしろいことをしているのだから、もうそれだけでいいんじゃないかな。
アーティストだからアート作品を作って、冒険家だから冒険をして、料理人だから料理を作るというのは、職業としては理解できるんだけど、人間の可能性として考えたときにつまらないことになる気がします。少なくとも僕が現実世界で触れるアート作品によってイメージするアートよりも、西野さんのやっていることは100倍も200倍もおもしろいと思う。そうはいっても、このブログのカテゴリーもアートにしちゃっているんだけど。アートじゃないって話ではないからね。とにかく西野さんはおもしろいです。
そして、荒谷さんと浦野さんもすごい。ただ商品としての作品を売るだけのギャラリストとは全然違う。いっしょに作って、それを経済的に成立するところまでもっていく。作家だけじゃできないことを、力をあわせて現実化していく。こんな実験がもっともっと増えていけば世界はもっとおもしろくなるだろう。荒谷さんがいなかったら、僕が藤浩志さんと出会っていることもなかったかも。微妙な細いラインでみんなのやっていることが連鎖しているのを再確認。経済的に成立させるのは荒谷さんたちにかなわないけど、実験精神だけは負けたくないと思いました。