比較文化的視点

7月3日、コンテンツ批評の時間に僕がファシリテーター比較文化ワークショップ。だけど準備不足と、時間が90分しかないのに詰め込みすぎて、すべて中途半端に終わってしまった。ワークシートぐらい、まともに準備しないとね。用意する資料も絞込みができなくて失敗でした。
ともあれ1920年代と1960年代について、自分の関心のある分野から、それ以外の分野まで視野を広げて見渡してみるという内容で、時間をかければ、もうちょっといいものになったとは思うけど。世界の一部にしか触れることができていないという認識がある人と、そうでない人では全然違う。美術業界の人と会うたびに、その狭小な世界観にうんざりさせられ、同時に比較文化的な視点が大事だと思う。
結局、ワークショップの進行はよくなかったんだけど、参加者が勝手にそれぞれの視点でおもしろいものを見つけてくれた様子だから、まぁいいか。本当は、それぞれがなにを見つけて、他の人とどんな視点の違いがあるか比べられるといいんだけど、やっぱり時間が足りなかった。
もともとは学部時代に受けた篠田達美先生の比較造形演習の方法をアレンジしたもの。篠田先生の授業は時間が長かったのと篠田先生がそれぞれの時代の美術を世界全体と関連づけて話してくれたのがよかった。あの当時は、みんな調べてきたことを発表する時間が長くてしんどいと思っていたけれど。
たしか毎週2コマ連続の授業で、1860年代から始まって、1週間で10年ずつ進んだのかな。普通の授業では美術史、デザイン史とか別々にやるのを、おおざっぱだけど一緒の時間にやってたのがよかった。普通の美術史なんかより断然おもしろかった。僕の指導教官ではなかったし、ゼミも違う先生だったのでたっぷり教えてもらったわけではないのだが、篠田先生の影響は大きい。藤浩志さんをおもしろがる僕というのも、篠田さんの授業がなかったらどうだったかわからない。もし篠田さんの授業をとってなかったら、美術というジャンルの中で藤さんの作品をいいとか悪いとか判断してたかも。でも、どっちにしても美術ってつまらないと思っていたような気もするし…。
篠田先生は自由学園出身だったはず。美学哲学系の人とはちょっと違う雰囲気の理由はそのへんも関係あるのかもしれない。作品をじっと見つめていた姿が印象に残っている。よく見る人だった。
「明日の友」という雑誌に篠田達美先生の連載があるのを知った。明日、図書館に行って探してみよう。