管巻三十郎文庫とロビィについてのトークセッション。

20日に鹿児島の交通局電停前にあるイイスペイス・ロビィで藤浩志さん、森司さん、竹久侑さんと僕(管巻三十郎)でトークしてきました。
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あんまり宣伝する余裕もなかったのですが、20人以上の方がわざわざ話を聞きに来てくれました。ありがとうございます。
藤さんはもちろん森さんや竹久さんも人前で話すのに慣れている様子。僕だけテンポが違っていて、申し訳ない気持ちに。
藤さんがロビィができた経緯と提案で口火をきり、森さんは東京で始まるアートポイント計画、竹久さんは水戸芸術館というようにそれぞれがもつ現場の話を具体的にわかりやすくしてくれた。それに比べて僕の話は、抽象的でわけのわからないものだった気がする。藤さんや森さんたちとは場数が違うから仕方ないかと思いつつ、少し反省。
ロビィにある蔵書が僕のものということを知った人のほとんどが聞いてくる質問がある。「ここにある本、全部読んだんですか?」というよくある質問。このセリフをいう気持ちはわかるけど、それはおいておいて、僕にとってこの質問は「現代美術って、よくわからない」と対だ。なぜ、本は読み終わらないといけないものなのか、美術はわからないといけないのか。この疑問をずらしていけば、本は本当に読み終わるものなのか、美術は本当にわかるものなのか、ということになる。
僕にとっては、本も美術作品も世界の可能性を見せてくれるもの。それに触れれば、自分が知っていること、見たもの、知っている場所は、世界のごく一部であることがよくわかる。知識の獲得は本がもたらす恩恵のごく一部でしかない。
どんな読書だって、次の何かにつながる。すぐにではないかもしれない。でも、ページをめくった記憶が何かに作用するまで待てばいい。それに、本との関係の方法はページをめくって字を追いかけるだけではない。本の背中のタイトルを眺めているだけで、地図を見るように、知らない言語の歌を聴くように、思考は動き出す。
本とか美術とかにまとわりつく、常識みたいなものに感じる疑問ばかり喋ってしまって、場所の話ができてなかったかも。
でも、とにかく、このイイスペイス・ロビィという空間がうまく運営されていってほしいです。ここで本を読んだ人がおもしろい活動を始めたり、出会った人同士で何か新しいことを始めるとか。なんとなく、すでに常連さんもいらっしゃるようで、うれしいです。東京の僕のアパートにこの本があったときは、本当に不幸でした。僕は部屋が狭くていつもイライラしていたし、本だってあんまり読んでもらえなくてかわいそうだった。誰かに読んでもらえるかもしれない可能性が増えたってことがすごくいいこと。実際に読まれなくても、可能性があるのとないので全く違う。
ロビィって何だろう?何かが始まるきっかけの場所であり、何かを待つ場所でもあるだろうか。始まりの予感がする場所。
そうそう、藤さんの「古い建物をいじるのに興味はあったけど、新しい建物をつくるのには全く関心がなかったんです。だから、イイスペイスを建てたときは、何十年後かに廃墟になることをイメージしました。いつか廃墟になったら何かたのしいことをしようと思ってつくったんです」という話が最高でした。