「地域活性化システム論」(東京藝術大学音楽環境創造科公開集中セミナー)

8月27日(木)と28日(金)の2日続けて、東京芸大の公開集中セミナー「地域活性化システム論」に参加してきました。大いに刺激を受けた2日間でした。この公開セミナーは3日連続だったんだけど、1日目の26日(水)に参加できなかったのが悔やまれた。それくらいおもしろかった。
27日は音楽による地域活性化の例として、音楽教育が専門の佐野靖先生が長野県の高遠町との交流共同事業「伊澤修二先生記念音楽祭」について紹介してくれた。今年で22回目となるこの音楽祭だが、始まった当初は芸大関係者もこんなに続くとは思っていなかったそうだ。といっても佐野先生が関わるようになったのは3回目か4回目からということだったが、とにかくそれから高遠町と20年のつきあい。東京藝術大学音楽部の前進、東京音楽学校の創立に関わった伊澤氏が高遠町出身という縁で始まったこの音楽祭の歴史は、なかなか興味深いものがあった。
実は受講前はそれほど期待していなかった。地域の音楽祭って、いかにもというか、なんとなく想像できてしまうような気がしていたからだ。ところが、わりとオーソドックスな形式の音楽祭という行事にも、他所から訪れて音楽を演奏する芸大の先生や学生と、地域住民の間にはさまざまなドラマがあることを知って、とても興奮した。
この音楽祭、当初から2部構成になっていた。前半に芸大の先生が地元の小学生を指導に基づく音楽劇や合唱があり、後半が芸大の学生や先生の演奏。子供たちががんばっているのを家族が見守って、その後に立派な演奏が聴けるというので地域の人に喜ばれたそうだ。
ところが、佐野先生が関わって何年かして、あきらかにイベントとしての雰囲気が下がってきたことがあったそうだ。要するに偉い先生の演奏も、ふだんクラシック音楽を聴かない人にはみんな同じに聴こえてしまうのだろう。子供たちの発表を見てから、ずいぶん多くのお客さんが帰ってしまった。これは、まずいけど、どうしようと思っていた佐野先生だが妙案はなかった。
ところが、音楽祭の草創期に小学生(5年生)で、合唱や音楽劇を発表した子供たちが中学生になり、「僕たちにも発表させて」と言ってきたそうだ。これで「芸大は助かったんですよ」と佐野先生が言っていた。でも、演奏している先生は、やっぱり自分が一番だからあんまりそういうことには気がついてないそうです。佐野先生は音楽教育の視点から地域での音楽祭を見ているのがとてもいい。そもそも、始まった当時は大学が地域と連携するなんてことは評価の対象になっていなかった。まきこまれた形だとしても、そこからずっとひとつの場所と関係を続けていった佐野先生の存在は高遠町の子供たちにとっても大きな影響を残しているだろう。ともかく、子供たちが自分たちの意思を示して、小学生だけじゃなくて中学生も参加させるように訴えたのが大きい。そういう何か言いたくなる状況をつくれたことが音楽祭の意味だったのだと思う。
佐野先生がリサーチしている青森県むつ市の小学校のエピソードも興味深かった。
28日(金)は「日英の社会包摂的コミュニティ・アートの比較」というテーマ。はじめにイギリスのコミュニティ・アートのレポートがあったのですが、僕は遅刻してしまい残念ながら全貌はわからなかった。その後、大阪の上田假奈代(詩人・NPO法人こえとことばとこころの部屋 代表理事)さんと、横浜の寿町でユニークな活動をしている岡部友彦(コトラボ合同会社代表)さんが、それぞれの現場でのできごとを紹介してくれた。
もっとも印象に残ったのは、恐い街、危ない街という印象が流通する寿町におこっている変化おきているという岡部さんの話。メインの住民である日雇い労働者たちが高齢化しているので、昔の寿町とは問題がずれてきているそうだ。寿町の高齢化問題は日本の未来を考える上でも重要だと思う。住民の多くは建設現場で働いてきた人たちだ。高度成長を支えたといってもいい彼らが、街に寄り添うように住んでいるところに、姥捨て山のように(人ではないけど)大きなごみが不法投棄されていくという。今いる住民が安全に快適に元気に暮らしていくために何ができるのか。彼らがいられなくなるような開発は全く意味がない。寿町を元町とかみなとみらいのようにする必要はない。では何ができるのかというのを岡部さんたちは考えながら、実践している。
熊倉純子先生が寿町にある僕の昔の仲間の作品の話をしてくれたのも感慨深いものがあった。熊倉先生が作品を見に行ったら、知らないおじちゃん(もちろん寿町の住民)が作品の解説を自慢げにしてくれたそうだ。「あれは俺たちの姿なんだってさ」とか「あんたアートとか好きなのか?アンディ・ウォーホル、知ってるか?」って聞かれたり。熊倉先生は、そういうおじちゃんともちゃんと話をするから大好きだ。ホワイト・キューブにきれいに飾られたものを見て「いい」とか「悪い」とか言っている人の話は僕にはまったく関係ない。でも、熊倉先生の話は信用できる。
その熊倉先生が、「私たちのときはコミュニティとか地域というものから逃げたくてしかたがなくて、だからアートの方に進んでいった。だから、今ここにいる若い人が地域とかコミュニティということを盛んに言うのが、わからないところもある」と言ってたのもおもしろかった。よくわかる。コミュニティを語る難しさ。
27日のグループ・ディスカッションの後で、コミュニティの是非が話題になったけど、それは不毛な話だと思った。コミュニティは自然発生するものだし、そこに居心地が悪いと思う人がでてくるのも自然なこと。自分たちが所属するコミュニティをどうしたらよくできるか、という話のが大事な気がする。もちろんコミュニティの外にいる自由や、コミュニティとの関係の仕方の自由度も常に考慮に入れながら。
取手でお世話になった長津君がスタッフとしてがんばっていたのも感激。とっても充実した2日間でした。