オープンゼミ1日目(ゲスト講師かわなかのひろ氏)終了。明日5日のゲストは田中功起氏です。

かわなかさんの講義が無事終了しました。学外から多くの聴講者に来ていただいてうれしいです。オープンゼミにしてよかった〜。
講義は、かわなかさんが話を丁寧にしすぎて、終了時間をオーバーしてしまいましたが、これは企画の失敗。普段、物語映画(例えば、ここ30年くらいの間に作られたハリウッド映画やその影響下の映画)やテレビ番組とCMしか見ていない学生を想定して、映像運動の成立プロセスと実験映画を概説するのに、あの時間では無理というもの。見込みがあまかったです。結局、かわなかさんの作品は1本だけしか見ることができなくて、ちょっと残念。でも、充実した授業でした。
講義の概略だけ書いておくと、まず、映像運動の成立プロセス(映画前史)の話から始まり、それを「フィルム・ビフォー・フィルム」の一部分を見た後に具体的に説明していただきました。聴講した方も、格闘ともいうべき映画前史の実験の多様さを理解できたでしょう。その後、「過去の映像からどのように新しい映像を作っていったか」という主題による実験映画についてのレクチャーをしていただきました。
そんなわけで講義の進行は、かわなかさんにすっかりおまかせでした。かわなかさん、おつかれさまです。
聴講してくれたみなさん、ありがとうございました。
以下に、いろいろ感想を書いておきます。講義の感想というよりは、今日の講義では語られなかったことについての雑感です。
かわなかさんは造形大時代は恐い先生という評判だった。授業で教えてもらったことがない僕がいうのもなんだが、本質的には優しい人だと思う。厳しいところは厳しいけど、それは人間として何を大切にするかという部分での話だろう。だいたい今どき、近しい人に本気で怒れる人も少ない。かわんかさんは人と真剣につきあう人だから、怒るときも面倒をみるときも、他人からみると「そこまでしなくてもいいだろう」というくらい度を越すことがある。何度か人と衝突しているのを見たことがある。たしかに恐い。でも、それは本気だからだ。えーと、感想の1つ目は最近、本気のものって少ないよね、ということ。ほどほどにこれでいいでしょみたいなものばっかり。講義と関係なくてすみません。
ついでに書いておくと、かわなかさんは幼少のころいつも腹をすかせていた記憶があるので、猫が鳴いているとエサをあげずにはいられない。騙されていると僕は思うのだが、本人はそれでも意に介さない。騙されていますよと言いたいが、騙されてもなんでも幸せそうだから、まぁいいか。
感想の2つ目は大学のこと。というか大学と大学の先生のこと。造形大時代、もう学生をやめようと思ったことがあった。大学のシステムが好きになれなかったからだ。今、考えると森口陽先生や岡村多佳夫先生など優秀な先生に、もったいないくらい丁寧な指導をしていただいた。僕も先生たちを大好きだったのだが、学校自体はあまり好きになれなかった。勉強もしなかったし。結局、システムとしてはいろいろ問題はあったけど、そういうステキな先生と接することが今の僕の財産になっている。それだけで充分すぎるくらい。今、明治の大学院で管啓次郎先生に教えてもらっているのも不思議なことで、とてつもなくありがたいこと。何年も前に管先生の本を読んだとき、まさか指導してもらえるとは思っていなかった。でも、学部時代に教えてもらっていたらその価値がわかったかというと疑問はある。ダメ学生だったし。やっぱり、今、明治で教えてもらっているのが最高のタイミングと確信。大学は先生がいれば、それでいい。校舎はプレハブでいいよ。本当に。
3つ目。これは昨日のブログで書いたけど、管啓次郎先生が訳している『暗闇にとりくむ』というエッセイの著者ジミー・サンディエゴ・バカと、かわなかさんはよく似ているということ。先に、かわなかさんは幼少から青年期(って何歳までだろう?)まで、経済的に苦労してきた。幼いころに母親を亡くし、その後父親も亡くなり、不良になって、いろいろした結果、感化院に入れられた経験をもっている。一方、ジミーはチカーノ(メキシコ系アメリカ人)の不良少年として育った。麻薬不法所持で服役中に詩に目覚めたというのもすごい。
だが、そうした境遇のことだけでふたりの表現者を似ているというのではない。作品の手ざわり、そして記憶に作用する感覚がとても近しいのだ。かわなかさんの作品については映画を見ていただくしかない。だって映画のことは映画を見るのが一番よくわかるから。『暗闇にとりくむ』から「僕の人生を想像してくれ」という題の一節を頭から引用する。

ある日の午後、子供時代に住んでいた村で撮ったビデオを編集しているとき、不意に祖母の顔が画面に現れ、痛みの衝撃波がぼくの中に噴きだした。祖母の映像が、子供のころ彼女と別れなくてはならなかったときの、耐えがたい痛みをよみがえらせたのだ。ぼくはいつも、自分の子供時代が殺伐としたものだった、ときには美しい部分もあったが、大抵は痛みにみちたものだったと考えてきた。彼女の顔の、陽に焼かれて無残にひび割れた褐色の皮、銀色の南瓜の花のような両目を見ていると、彼女がどれほど愛してくれたかが、はっきりと思い出された。そして、彼女の愛のおかげで、ぼくの子供時代がどんなに暖かくゆたかなものであったことか、が。

その後、映像上の祖母が語りかけるように話す言葉が続く。

「おまえは毎日、線路まで走っていったよ、どんなにお尻を叩いて叱っても、いつも走っていって線路で遊んでいた。いったいどれだけの午後をあそこで過ごしたろうねえ。車掌に手を振るのが好きで。家畜を載せた貨車に石を投げて、うまく柵をとおせるかどうか試すのが好きで。おまえはどこかに行ってしまうものが大好きだったんだよ。遠くからやってきては、あっというまに通過し、たちまちどこかに行ってしまうもの。おまえはそんなものといっしょに行きたがり、家に連れて帰るのは一苦労だったよ、特に汽車を見た後では。おまえは列車の後を追いかけたがって、並んで走りだすものだから、恐ろしかった。いちど、平台型貨車に自分のロサリオ〔数珠〕を投げて、それにむかってさようならと手を振ってたことがあったね。そうだ、おまえは本当に、ああやってどこまでもどこまでも走り去ってゆくものが好きだった。」

この語りの言葉がもつ輝きを、文学として、言語の運動として論じることはできるだろう。だが、それ以上に特筆すべきは、こんなに映像的な言葉は映画批評だってそう読めるものではないということ。「あっというまに通過し、たちまちどこかに行ってしまうもの」を見つめる時間こそ映像の時間、映画の時間だ。この感覚的な近似性は、映像と文学という領域を超えて、記憶の叙述方法の問題として考察する余地があるだろう。
というわけで、今日、聴講に来てくれたみなさん。かわなかさんの作品上映があるときは、ぜひご覧になってください。『暗闇にとりくむ』は岩波書店のアンソロジーで「世界文学のフロンティア」というシリーズの『私の謎』という本に収められています。オススメです。

そして明日(といっても本当は今日)5日(木)は、田中功起さんがゲストです。おもしろいのは確実です。ぜひ、ご来場ください。