清志郎とどんとのことを吉田省念と話す。

5月3日、京都のすごいギタリスト吉田省念http://yoshidashonen.net/)とかわいい鍵盤少女・鈴木ちひろが来ているというので、深夜の高円寺で仲間たちとビールを飲みいろいろ食べる。その後、東洋君(渋さ知らズ)の家にみんなで行って泊めてもらう。
みんな音楽が好きなので、自然と話題は清志郎に。で、省念がいるとやっぱり清志郎とどんとの話になる。世の中での流通の仕方は違う形だったけど、どちらも偉大な仕事をした人。
省念たちと一緒にYouTubeでどんとの映像を見た。

いいインタビューです。「橋の下」は名曲。他にもいろいろ見ました。
で、今日また見ている。下はタモリの番組で、どんとがニューオリンズのことを喋っています。

話を清志郎とどんとに戻します。どんとが清志郎について書いた文章がここで読めます。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hanao/dont-goroku/de-ji1.htm
一部引用すると

高校時代大学時代おれは何度もRCサクセションを見に行って、レコードは全部集め、服装も唄い方も清志郎のまねをして、作る歌も清志郎そっくりで、仲間たちが「おまえのその清志郎ぶし何とかしろ」と言ってやめさせるほどに、おれは清志郎一色になった。

初めて清志郎と一緒のステージに出た日、おれは楽屋に少しだけ会いに行った。二人とも照れて話すことがなく、黙って数秒たってから清志郎が「ギター見る?」と言って新しく買ったギターをさわらせてくれた。おれは少し触ってすぐ返して、また照れながら自分の出番になったので、ステージに行った。おれは歌の中の清志郎と同じだと思った。彼の『ヒッピーに捧ぐ』という唄の中に、死んだヒッピーに「明日また楽屋で会おう。新しいギターを見せてあげる」という一節があったのを思い出したからだ。歌と同じことが自分にも起こったことが嬉しくて、そっと胸にしまっていた想い出が、またよみがえってきてしまった。

そして、どんとを追悼する清志郎のテキストがこちら(個人の方のブログです。音楽業界の人でしょうか)で読めます。どんとが死んだのが2000年なので、9年前のテキストです。
http://www.omaken.com/mongo/2006/01/-soul-of-2006-nhk.html
初出はTV Brosの連載エッセイ。この連載は本にまとまっているはずだけど、このテキストが収録されているかわかりません。友達の家の本棚にあったのは覚えているけど、僕はこの本を読んでないので、古本屋で探してみようかな。
実はどんとが亡くなってからしばらくして、この記事のことを友人が教えてくれて、古本屋でTV Brosを探したのですがすぐには見つからず、そのうちどんとのサイトでこのテキストを発見したのでした。今はサイトには残っていないようで、このブログの人がアップしてくれているようです。
全文、引用します。

謎の譜面を君に送ろう。僕の最新の曲が書かれている。全音符と 4分音符と8分16分32分64分128分など算数計算のような5線紙の上に重大な秘密が隠されている謎の譜面を君に送るよ。所詮楽譜などでは音は聴こえてこない。音のすべてが割り算では解決できないのだ。人の心も同じだ。数学や計算では誰の心も説明できない。出来るわけがない。だが、おどろかないで欲しい。フェルマータの長さが何分なのか何時問なのか、何十年なのか人々にはわからないが君にはすぐにわかるはずだ。428小節のスラーの上がっていく感じが君にだけはわかるだろう。君のその透き通るような白い頬にひとすじの涙が流れるにちがいない。だってこの謎の譜面を理解できるのは君だけなんだぜ。わかるだろ?
 僕は月の砂漠に住んでインターネットで世界中の情報を手に入れるのさ。遠い地球を離れ、ひとりで暮らしてるんだ。思いつくままに曲を書いたり絵をかいたり字をかいたりマスをかいたり背中をかいたり恥をかいたり、色々かいてるのさ。ああ、早く君に会いたい。宇宙の星だけが僕の友達なんだ。地球の笑顔は僕を幸福にしてくれるよ。そーいえば、吉祥寺曼陀羅のところの三鷹楽器の隣の居酒屋で君と飲んだことがあったな。君は酔っぱらって僕に甘えたりした。覚えてるかい? 忘れられないメモリーだよ。あの時2人でボ・ガンボスをよく聴いていたね。独特のリズムがかっこよかった。どんとはまるでロックン・ロ−ルのグルみたいに光っていたな。しっかりした体格の若々しい男がグルーヴの中で踊っては歌っていた。あいつはロックン・ロール・グルだった。

 僕がどんとに初めて会ったのはまだ地球に住んでいる頃で、昔の渋谷のマックスタジオ。エレベーターの無いこのスタジオでは急な階段を重いアンプやギターやハモンドを人力で2階まで上げなくてはならなかった。リハーサルを終え、階段を降りていく途中で大きなアンプか何かが下から登って来た。「あっ、キヨシローさんだ。こんにちは。がんばって下さい」と、その楽器を運ぶ何人がかりかの中の一人が言った。僕は「おう。ここんとこ調子はど−だい。うまく事は運んでるかい」と答えた。当時、僕は初対面の人にもそのようなアイサツをよくしていたのだ。「ええ、ばっちりですよ」と答えたのが、どんとだったのだ。その時は知らなかったが、そのすぐ後にセブン・イレブンか何かのCM でよく見かけるようになったのだ。そのCMを見るたびに「階段で会った男だ」と思った。

それからすぐにどんとはローザ・ルクセンブルグからボ・ガンボスとなり派手にブレークした。いいバンドだと感心した。こんなバンドが市民権を得るなんて、いい時代がやってきたと思った。上っ面だけの芸能人の時代もいよいよ終わりだ。ざまあみろ。だが、もちろんそれは俺の独り合点のぬか喜びだったがね。まあ気にしちゃいねえさ。どんととはその後時々会うことがあった。いっしょに酒を飲んだりもした。イベントでいっしょになったり…。雰囲気のあるいい奴だった。俺の音楽の理解者だった。もっとたくさん会えば良かったが今はもう遠い。今年も年賀状が届いたばかりだというのに…。さようなら、どんと。安らかに眠ってくれ。
 僕はこの月の砂漠で昔のことを想い出しては笑ったり、時には涙を流したりする。ひとりぼっちとはいえ、なかなか人生は忙しいもんだ。
TV Bros.3月4日号 ”瀕死の双六問屋”より

どんとが「ええ、ばっちりですよ」と言うところ、大好きです。
というわけで、今ごろこのふたりは天国でたのしいセッションを行っているような気がします。